スーパーのレジバイト時代のとある追憶。

スーパーのレジバイト時代のとある追憶。

大学生時代にスーパーのレジで2年ほどバイトをしていた。
高校時代から八百屋、宅配寿司屋、短期の引っ越しなど、バイトはどれも長く続かなかった僕がスーパーのレジは楽しくやりがいを持って働いていた記憶がある。

僕が働いていたのは夕方18時から23時までの時間帯。
スーパーは昼間が一番客が多い。日中の激戦を終えたお昼のパートのおばちゃん達と交代し、レジの行列を引き継ぐ形でバイトが始まる。
18時から19時半くらいまでは、まだまだ主婦層のお客さんが多くて息をつく暇もなくお客さんを捌いていく。

自慢じゃないけど、僕は同じ時間帯に働いていた同世代の大学生達の中で一番真面目にレジを打っていた。と、思う。
右のカゴからスキャンして左のカゴへ。商品のどの位置にバーコードがあるかも大体覚えていて、左手でスキャンをしながら右手で次の商品のバーコードをスキャナーに向ける。
左のカゴは重たいものや潰れないものを下に、痛みやすいものや柔らかいものは上に。
冷凍か冷蔵か常温か、お客さんが袋に詰めやすいように考えながら並べていく。

当時のレジは自動でお釣りを出してくれるレジじゃなかったので、おつりの小銭を集める正確さも日々研ぎ澄ましていっていた。

いかに速く、いかに正確に、いかに丁寧に、いかににこやかに対応出来るか。
自分の中でレジの業務を磨き上げていく感じがとても好きだった。

お客さんは店員をよく見ていて、常連客は早い店員、遅い店員、にこやかな店員、態度が悪い店員を熟知していた。
僕がこのバイトを楽しんで頑張っていくうちに、他のレジが空いていても自分のところに来てくれるお客さんもいたりしてとても嬉しかった。

そして、これはスーパーに限ったことではないけれど、店員はよくお客さんのことを覚えている。
レジが暇になったタイミングで長話をしに来るおばあさん、いつも同じタバコを買いに来るおじさん、自分がエプロンにつけている店のバッジを欲しがる小さい女の子。
パチンコ屋が近所にあったから、パチンコに勝ったか負けたかで機嫌が変わるお爺さん。

クレーマーやタバコを買おうとする未成年とか、めんどくさい客もたくさんいたけど意外とそういう人は同じ店には何度も来ない。

レジという仕事を通して色んな人を見た。

中でも一番記憶に残っているのはとある親子だ。
ある日いつものようにレジに立っていると、20時くらいにお母さんに連れられて3歳か4歳くらいの小さい男の子がやってきた。
買い物かごも何も持っていない。

お母さんが申し訳無さそうに口を開く。

「すみません、これ昼間にお買い物したときにレジを通さずに子供が持って帰っちゃったみたいで…お金を払わせて下さい」

お母さんに「ほら出しなさい」と言われ、男の子がレジ台の上に出したのは手のひらに収まるサイズの未開封のチョコレートだった。

実際のところ、スーパーでバイトをしていたらよくあることだ。
子供がうっかりポケットに入れていた、お店の中で封を破って食べてしまった。
あるいは孫に甘々なおじいちゃんがお会計の前に食べさせてしまった。
レジで「ごめんね~」と笑いながら、お会計を済ませる人は何人もいた。
子供が意図せず万引き行為をしてしまうことは結構ある。
正直に申し出てくれれば、お会計をしてもらって終わり。
こんなことで店長に相談してたらキリがない。

僕は男の子からチョコレートを預かり、バーコードをスキャンしてお会計金額をお母さんに伝える。
お母さんは焦った様子で小銭を出す。
お会計が終わったチョコレートを「どうぞ」と男の子に手渡そうとしたその時。

「すみません、そのまま捨てて下さい。じゃないと示しがつきませんから…」

僕は戸惑いつつも、男の子の目の前でレジにあるゴミ箱へチョコレートを捨てた。
男の子は泣きもせず、怒りもせず、じっとそれを見つめていた。

「申し訳ありませんでした」

お母さんは深々と頭を下げ、男の子にも頭を下げさせ、足早に帰っていった。

衝撃的だった。これが「教育」なんだと思った。
お菓子を持って帰って来てしまったことを「子供だからしょうがない」「お金を払えばチャラになる」ではなく、社会的にやってはいけないことだと。結果的に親に頭を下げさせチョコレートも手に入らないことを教えるために。

何かのついででもなく、わざわざスーパーにまた訪れた事に体が痺れるような温かいような不思議な感覚に襲われた。
そして自分にいつか子供が生まれたら、こんな親でありたいと思った。

あれから10年以上が経つけど、あの男の子はあのお母さんの下で真っ直ぐで正直な人間に育っているのだろうか。

僕は今年の春に父親になる。
妻のお腹にいる赤ちゃんは女の子。
たっぷり愛情を注ぎつつも、時には厳しく嫌われる覚悟を持って、子供を正しく導くことが出来るだろうか。ちゃんとした人の親になれるだろうか。

自分が親になると決まった今、あのお母さんの姿を色濃く思い出す。